金子吉晴(維新政党新風)    行動保守の選挙担当として維新政党・新風に籍を置き真の戦後レジームからの脱却に邁進しています。

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「【外務省発表】戦時徴用わずか245人。自由意志で在日」 ポツダム宣言後もなぜ日本国民と解釈する必要が?

 平成22年3月23日のやまと新聞は,”【外務省発表】戦時徴用わずか245人。自由意志で在日
 やまと新聞3月10日号で高市早苗議員が外務委員会で岡田外務大臣にいわゆる「強制連行」といわれるものについて質問した記事で、会員向けに公開した資料「昭和35年2月 外務省発表集 第10号(抜粋)」です。
 以下は貴重な資料だと思います。資料を請求・公開し、質問に立った高市議員。日本を守るため戦ってください!

昭和35年2月 外務省発表集 第10号(抜粋)
記事資料 昭和34年7月11日

(三) アジア・豪州関係
1 在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について
一、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものである というような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。実情は次のとおりである。
 1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達していた。そして、この間に増加した約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるものであり、残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少数部である。しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。
 元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であつた)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに1939年7月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施され た。かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運航が壮絶したためその導入は事実上困難となつた)までの短期間であつた。
二、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
(1) まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人 合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。
(2) ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、残余のものは自ら日本に残る途をえらんだ。
(3) なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、 実際に北朝鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。
(4) 朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。
 こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。
三、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。そして、前途のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意思によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。したがつて現在日本政府が本人の意思に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。

在日朝鮮人の来住特別内訳表
項 目                       人員(人)  %
登録在日朝鮮人総数                 611,085
内訳
(1) 所在不明のもの(1956年8月1日以降登録未切替)   13,898
(2) 居住地の明らかなもの              597,187   100.0
(2)の内訳
(A) 終戦前からの在留者                388,359    65.0%
うちわけ
(イ) 1939年8月以前に来住したもの           107,996   (18.1%)
(ロ) 1939年9月1日から1945年8月15日までの間に来住したもの
                           35,016   ( 5.8%)
(ハ) 来住時不明のもの                 72,036   (12.1%)
(ニ) 終戦前の日本生れ                 173,311   (29.0%)
(B) 終戦後の日本生れおよび入国者          208,828    35.0%
”と報道した(リンクはこちら)。

 例の有名な朝日新聞の記事の元資料を「やまと新聞」が掲載したものである。
 長々と引用したが非常に重要な資料だから対在日南北朝鮮人の政治活動をする者にとっては頭に叩き込む必要がある。
 まず数字の変化を時系列的にまとめると次のようになる。

1939年末現在   100万人
1945年終戦直前  200万人
1946年3月    60万人
1950年5月以前  52万人
1958年末     51万人
昭和34年7月   61万人

 「1958年末」と「昭和34年7月」の差の10万人が「在日朝鮮人の来住特別内訳表」のうちの「(B) 終戦後の日本生れおよび入国者 208,828 35.0%」と合わなければならないのであるが、合わない理由はその間の死亡者ということか。
 またもちろんこれは「登録在日朝鮮人総数」だからこのほかにもかなりの密入国者が国内にいたものと思われる。

 次ぎに気を付けなければならないのは,表題の「戦時徴用わずか245人」も誤解を生じやすいが、この「245人」は「戦時中の徴用労務者」全体ではなくあくまで「朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたもの」だということである。
 つまり「右のうち戦時中に徴用労務者としてきたもの」の「」とは,「現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万」であるから,それ以外の者はすでに「帰還」したということである。
 結局全体の総数は明らかではないが,「いわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運航が壮絶したためその導入は事実上困難となつた)までの短期間」であるから,おそらく2,3千人というところではないか。

 ところで当方が不思議に思うのは,「朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつた」とあるが,なぜ我が国はその前に在日南北朝鮮人を全員帰国させなかったのであろうか。
 この時期の在日南北朝鮮人の法的地位については昭和25年4月24日の参議院法務委員会で次のようなやり取りがある(リンクはこちら)。

○鬼丸義齊君 大部分と言いますとやはり若干はあるのですか、それに反対の規定が。それから朝鮮の場合はどういうふうになるのですか。
 ○政府委員(村上朝一君) 朝鮮の場合についてお答えいたしますが、朝鮮人につきましては、我が国の国内法の立場からは現在も尚日本の国籍を持つておる者と解釈いたしておるのであります。従いまして現在におきましては、朝鮮人が内地人に帰化するという問題は起り得ない、さような解釈になつておるのであります。朝鮮人の国籍は将来講和條約によりまして最終的に決定されるわけでありますが、その場合には外国人ということになると思われまするので、帰化の問題も講和條約成立後は当然起ることでありまして、現在のところまだ今は日本の国籍を持つておる者という解釈を採つておるわけであります。
 ○鬼丸義齊君 ちよつと私その点は理解しがたいのですが、ポツダム宣言に基き日本の主権の及ぶ範囲というものは限られておる。日本の主権の及ばない範囲の者の住民、朝鮮人が、日本の国籍を持つことに、法的にはどこに根拠があるのでしようか、それを一つお示し願いたい。
 ○政府委員(村上朝一君) 朝鮮が日本の領土から除かれることは、ポツダム宣言によつて確定的になつておるわけで、日本が占領下にありまして外交上の権能を停止されております結果、朝鮮に成立しておる独立国を承認する、国家を承認するという国際法上の行為をする能力はないわけであります。又将来講和條約或いは両統治国間の條約によつて、朝鮮人の国籍について特別の定めができるということも想像されるのでありまして、現在の我が国の立場といたしましては、殊に国内法の立場といたしましては、外国の国籍を持つておる者とそう認めるわけには参りませんので、従来通り日本の国籍を保有しておる、かような解釈を採つておるわけであります。(後略)


 当時の日本人の自信喪失振りが手に取るように分かる質疑である。
 「朝鮮に成立しておる独立国を承認する、国家を承認するという国際法上の行為をする能力はない」からと言って「ポツダム宣言に基き」、「日本の主権の及ばない範囲の者の住民、朝鮮人が、日本の国籍を持つ」と解釈する必要はないだろう。

 時系列的には、
・ポツダム宣言の受託            昭和20年8月14日
・降伏文書の調印              昭和20年9月2日
・大韓民国建国宣言            昭和23年8月13日
・朝鮮民主主義人民共和国建国宣言 昭和23年9月9日
・サンフランシスコ講和条約調印        昭和26年9月8日
である。
 昭和26年まで待たずに昭和20年段階では無理としても、昭和23年の両国の建国後はGHQと協力して全員強制的に帰国させることはできなかったものだろうか。そういうモタモタした対応をしているから昭和34年からの北朝鮮帰国事業を除いて結局帰国させることができなかったのだろう。
  1. 2012/11/28(水) 09:13:17|
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