金子吉晴(維新政党新風)    行動保守の選挙担当として維新政党・新風に籍を置き真の戦後レジームからの脱却に邁進しています。

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「中国が外国船舶取り締まり強化、海南省管轄の南シナ海対象に条例」 支那の増長の要因は尖閣に対する我が国の無様な対応!!

 12月3日の産経新聞は,”中国が外国船舶取り締まり強化、海南省管轄の南シナ海対象に条例、実効支配強化の狙い
 中国海南省の人民代表大会(議会に相当)常務委員会は3日までに、南シナ海で同省が管轄する海域で不法進入したと判断した外国船舶に対し、公安当局の国境警備機関が立ち入り検査や船舶差し押さえなど厳格な取り締まりを実施する、との新たな治安管理条例を可決した。国営新華社通信などが伝えた。
 先月就任したばかりの習近平総書記が率いる新指導部が、ほぼ全ての島嶼に対して中国が領有権を主張する南シナ海での実効支配を強める狙いがありそうだ。
 条例では、外国船舶が同省の管轄海域内の中国領海を通過する際の停船、未許可の出入港や島への上陸、中国の主権や安全を侵す宣伝活動などを違法な行為と規定。船舶の強制退去や拿捕などの措置も取れると定めている。
”と報道した(リンクはこちら)。

 この記事には続報がある。

 12月3日の産経新聞は,”航行の自由阻害 一触即発の事態招く 国際社会の重大な脅威-中国海南省の立ち入り検査
 中国海南省の条例は、武力行使と強制力を伴う「平時臨検」ともいえる内容だ。
 中国がこうした措置を、国際法を無視し領有権を主張する南シナ海で執行すれば、領有権を争うフィリピンやベトナムの艦船、船舶との間で衝突が生じる危険性は当然、高まる。
 このため、東南アジア諸国連合(ASEAN)のスリン事務総長は「緊張を激化させ、大きな紛争の引き金になり得る深刻な事態だ」と、強い調子で中国を非難する。フィリピン政府も「国際社会を脅かし、航行と通商の自由を妨げるものだ」と猛反発している。
”と報道した(リンクはこちら)。

 最初の記事に添付されている地図を見れば支那の領土侵略的意図がいかに露骨なものかよく分かる(リンクはこちら)。
 要するに「南シナ海で同省が管轄する海域で不法進入したと判断した外国船舶に対し、公安当局の国境警備機関が立ち入り検査や船舶差し押さえなど厳格な取り締まりを実施する、との新たな治安管理条例」の内容以前に、「ほぼ全ての島嶼に対して中国が領有権を主張する」ということ自体が国際法的に違法行為である。
 「東沙」と「西沙(同パラセル)」はフィリピンやベトナムとの中間線付近にあるから分かるとしても、「中沙」の半分と「南沙(英語名スプラトリー)」全体は完全に侵略的意図に基づくものである。
 Wikiを見ても、「中沙」が占有可能であるかは定かではないが(リンクはこちら)、「南沙(英語名スプラトリー)」は、位置が定かではない「赤瓜礁のほか、永暑礁、華陽礁、東門礁、南薫礁、渚碧礁と後に名付けられた岩礁または珊瑚礁」はともかく、「ミスチーフ礁等フィリピン主張の島」については「1995年、中華人民共和国軍の活動が活発化し」とあり、明らかに侵略である(リンクはこちら)。
 この「ミスチーフ礁」についてはWikiに、「この時期、ソ連崩壊後の米比相互防衛条約解消の流れから、1995年の共同軍事演習を最後に、在フィリピン米軍は撤退を完了していた」とあるように日米安保条約の必要性の教訓として保守勢力の中ではつとに語られるところである(リンクはこちら)。

 さてこのような支那の増長をもたらした要因は何か。おそらくそれは1990年代前半における尖閣問題に対する我が国の無様な対応だろう。一昨年9月9日と11日のエントリーでそのころの年表を示したので、それを再掲する(リンクはこちらこちら)。

1989年(平成元年)6月4日 天安門事件。この後、西側各国がシナに対して経済制裁。
 1991年(平成3年) 海部総理が天安門事件後、初の先進国首脳として訪中、草の根無償資金協力始める。500以上のプロジェクトを展開、300以上の学校を建設した。
 1992年(平成4年)1月、銭其シン外相が渡辺美智雄外相に「本年秋」という時期を指定して天皇陛下訪中を招請(銭は2003年秋、回顧録『外交十記』で、「この時期の天皇訪中は西側の対中制裁を打破する上で積極的な効果があり、その意義は明らかに中日両国関係の範囲を超えていた。」と書いている)。
 1992年(平成4年)2月25日 シナ領海法制定。尖閣諸島が自国領であると記載。
 1992年(平成4年)10月23日~28日 天皇陛下訪中。この後、徐々に西側各国が制裁解除。
 1994年(平成6年) シナ共産党の中央宣伝部が「愛国主義教育実施要綱」を起草し、反日教育を強化する。
 1995年(平成7年)末 シナが日中中間線の日本側でガス田の試掘を始める。


 これを見るといかに当時の日本外交が売国的かがよく分かる。
 まず「1992年(平成4年)2月25日 シナ領海法制定」に対して何も抗議をしなかったことが最大の過失である。
 また「1995年(平成7年)末 シナが日中中間線の日本側でガス田の試掘を始める」とあるが、「試掘」プラントの建設開始はおそらくその2、3年前だろう。支那は「天皇陛下訪中を招請」する一方でそのような反日的行為を公然と行っていたのである。
 日本側でもそれには気付いていたろうが、見て見ぬ振りをしていたのである。
 日米安保条約があってさえこうなのだから、「米比相互防衛条約解消」後のフィリピンなど赤子の首をひねるようなものだろう。
 我が国はこの90年代の誤りを繰り返さないよう尖閣諸島の防衛に全力を尽くすべきである。
 そしてこの支那の傍若無人な背景には支那の驚異的な経済発展があり、それを支えているのは人民元のインチキ為替レートなのだから、我が国としてはこの問題に是が非でも対処すべきである。
  1. 2012/12/04(火) 07:42:32|
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