金子吉晴(維新政党新風)    行動保守の選挙担当として維新政党・新風に籍を置き真の戦後レジームからの脱却に邁進しています。

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"安倍首相、量的緩和策解除を反省 首相退任後に「リフレ派」に転向" これは眉唾臭いが民主党政権初期の時期の自民党内での議論か?

 4月2日の産経新聞は,”安倍首相、量的緩和策解除を反省 首相退任後に「リフレ派」に転向
 安倍晋三首相は2日の衆院予算委員会で、金融緩和で物価を引き上げて景気回復を実現すると唱える「リフレ派」に自身が転向したきっかけについて、小泉純一郎政権下で官房長官を務めていた平成18年3月に日銀が量的緩和策を解除したことを挙げた。
 首相は小泉政権を引き継いだ第1次安倍内閣時について、「経済は良くなっていったが、デフレからの脱却では足を引っ張っていた」と述べた。
 その上で、首相退任後に時間的な余裕ができ、高橋洋一嘉悦大教授と意見交換したり浜田宏一内閣官房参与から手紙をもらったりするうちに「そちら(リフレ派)に傾いていった」と述懐した。
”と報道した(リンクはこちら)。

 「首相は小泉政権を引き継いだ第1次安倍内閣時について、「経済は良くなっていったが、デフレからの脱却では足を引っ張っていた」と述べた。」とあるが,今一つ意味がよく分からない。
 今朝も引用した3月15日の表にあるとおり,「消費者物価指数伸び率(%)」は「2006」年が「0.3」%,「2007」年が「0」%であったことを指しているのだろうか(リンクはこちら)。
 しかし「名目GDP伸び率(%)」は「2006」年が「0.6」%,「2007」年が「1.2」%であったから実体経済的には問題視されていなかったと思われる。
 したがって「量的緩和策」が政策問題として意識されだしたのはもっと後の時代,すなわちリーマン・ショック以後でアメリカのQE1が始まった2009年3月以降だろう。
 しかもその悪影響は円高ということで実感視されたから,実際には円ドルレートが90円を割った2009年11月以降ではないか(リンクはこちら)。

 当方が調べた限りでは,国会審議の中で円高だから量的緩和をやるべきだという趣旨で質問したのは,平成21(2009)年11月17日の衆議院財務金融委員会における山本幸三自民党議員の,
これを見ますと、去年の八月末に比べてことしの九月末の段階で、イギリスの中央銀行は一四二%ふやした。二・四倍以上にふやした。アメリカのFRBは一三八%ふやした。それぞれ一四〇%前後ふやしたわけですね。それに比べて、我が日本銀行は六%しかふやしていないんです。つまり、各国が猛烈な勢いでお金をふやしている。それに対して、日本銀行はほとんどふやしていない。その結果、そのお金の量と比べて通貨価値というのは決まってくるんです、だから円高になるんですよ。
という発言が初出である(リンクはこちら)。
 当方の予測と完全に符合している。
 したがって「「リフレ派」に自身が転向したきっかけについて、小泉純一郎政権下で官房長官を務めていた平成18年3月に日銀が量的緩和策を解除したこと」とあるのは眉唾臭いが,民主党政権初期の時期の自民党内での議論によって徐々にそうなっていったと思われる。
  1. 2013/04/03(水) 23:23:23|
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