金子吉晴(維新政党新風)    行動保守の選挙担当として維新政党・新風に籍を置き真の戦後レジームからの脱却に邁進しています。

←応援クリックお願いします。

"両岸の学者:釣魚島が中国領であることは史料が証明" 有史以来一度も実効支配していない支那が何を言っても根拠は皆無!!

 4月18日の支那・人民網日本語版新聞は,”両岸の学者:釣魚島が中国領であることは史料が証明
 17日に台北で行われた「2013年釣魚島国際シンポジウム」に出席した両岸の学者は史料を引用して、無主の地の「先占」および釣魚島(日本名・尖閣諸島)の実効支配という日本側の論法に反駁を加え、釣魚島およびその付属島嶼は中国領だと指摘した。新華社が伝えた。
 北京大学北東アジア研究所の宋成有所長は「釣魚島は居住には適さないが、決して無主の地ではない。明代、清代の史料はみな釣魚島は中国人が最も早く発見、命名し、かつ領有した島嶼だと記載しており、主権は中国に属する。日本人の林子平でさえ1875年の『三国通覧図説』の『琉球三省并三十六嶋之圖』で中国の命名した釣魚島という呼称を使用したうえ、地図上で中国本土と同じ桜色で塗っている。これは江戸時代の日本人が釣魚島およびその付属島嶼は中国に属すると考えていたことを証明するものだ」と指摘した。
 台湾政治大学国際法学研究センターの陳純一主任は「日本が釣魚島及びその付属島嶼の領有を主張する主たる理由は「先占」だ。先占の前提条件は無主の地であることだが、明代、清代の史料はすでに釣魚島は中国人が発見して領土に編入したことを記しており、決して無主の地ではない。また、1895年に日本政府は釣魚島の併呑という閣議決定を公表せず、天皇も勅令を発しおらず、正式な宣告という「先占」の必須要件を満たしていない」と指摘した。
”と報道した(リンクはこちら)。

・「明代、清代の史料はみな釣魚島は中国人が最も早く発見、命名し、かつ領有した島嶼だと記載しており」とあるが,「最も早く発見、命名」については「史料」が残っているからそう言えるだけで,現実にそれが正しいかは明らかではない。また「領有」については有史以来,一度もない。
 しかしそれよりも昨年10月7日のエントリーで書いたように,「しかしそれを言うなら、台湾よりもっと尖閣諸島に近い与那国島や石垣島には有史以来、日本人が住んでいるのである。与那国島や石垣島の島民が尖閣諸島を船の寄港地としていたことなどいくらでもあったろう」ということである(リンクはこちら)。
・「日本人の林子平でさえ1875年の『三国通覧図説』の『琉球三省并三十六嶋之圖』で中国の命名した釣魚島という呼称を使用したうえ、地図上で中国本土と同じ桜色で塗っている。」とあるが,まず「1875年」とあるのは「1785年」の誤植である。
 またこれについてWikiには,「京都大学付属図書館の谷村文庫には、『三国通覧図説』の追図「琉球三省并三十六島之図」の江戸時代の彩色写本二種類が所蔵されている。日本の歴史学者井上清によれば、そのうち甲種では琉球は赤茶色に、中国本土と尖閣諸島はうす茶色、日本は青緑色、台湾と澎湖は黄色にぬり分けてあり、もうひとつの乙種では琉球を黄色に、中国本土と尖閣諸島は桜色、日本は緑色、台湾はねずみ色にぬり分けてある。」とある(リンクはこちら)。
 「中国本土と尖閣諸島はうす茶色」あるいは「中国本土と尖閣諸島は桜色」とあっても,「台湾」と「尖閣諸島」が同じ色に塗っていないところから見ると,これは必ずしも「尖閣諸島」を支那領とする意図ではないだろう。
 またそれを言うなら,1月21日のエントリーで紹介した,「中国の明王朝の公式日誌「皇明実録」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島(沖縄県)より中国側にある台湾の馬祖列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述を、長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、21日午前に長崎市内で記者会見して明らかにした。」という記事にこそ,まず支那は反論しなければならないだろう(リンクはこちら)。
・「また、1895年に日本政府は釣魚島の併呑という閣議決定を公表せず、天皇も勅令を発しおらず、正式な宣告という「先占」の必須要件を満たしていない」とあるが,「正式な宣告」には「閣議決定」があれば十分であり,「公表」や「勅令」は不要ではないか。

 また支那が尖閣諸島を日本領だと認めていたことに関しては次のような報道もある。

 2010年12月1日のWEDGE infinityは,”尖閣は中国のもの? 覆す証拠ここにあり 今こそ日本に国家戦略を 下條正男
 中国が尖閣諸島の領有権を主張する根拠は、「昔から台湾の一部だった」ということである。だが、その主張を根底から覆す証拠が、拓殖大学・下條正男教授の調べで見つかった。

──「尖閣諸島が台湾の一部ではなかった」ことを示す証拠を見つけられたそうですが、それについて詳しく教えてください。

 下條正男教授(以下、下條教授):国立公文書館等には清の乾隆帝(1711~1799年)の勅命によって編纂された『大清一統志』という地理書が所蔵されています。これは、清朝の時代に編纂され、1744年に全356巻として完成したものです。いわば、中国の中央政府が国家事業として編纂した勅撰本ですが、その巻260で、台湾(府)の北東の境を、「北至鶏籠城」(北、鶏籠城に至る)と記述しているのを見つけました。
 鶏籠城は、台湾本島の北東部に位置しており、現在の地名では「基隆」付近です。基隆と尖閣諸島は約200kmも離れており、その間には棉花島や花瓶島といった島々も存在しますが、『大清一統志』では、それらの島々さえ台湾の領土の範囲に含めていないのです。つまり、1895年に日本政府が尖閣諸島を領土に編入したとき、そこが「無主の地」であったという日本側の主張は正しい、ということになります。中国は、尖閣諸島を「昔から台湾の一部だった」という理由で領有権を主張していますから、その主張を根底から覆すことができるわけです。
”と報道した(リンクはこちら)。

 満州からやってきた清にとっては,「台湾」さえ領有の意思があったかどうかは疑わしいところである。

 まあとにかく有史以来,一度も尖閣諸島を実効支配していない支那がいくら何を言っても根拠は皆無と言えるだろう。
  1. 2013/04/23(火) 10:24:35|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<"「円安恐怖」広がる 市場介入より企業支援=韓国" もっと直接的に為替操作に対する制裁を行って経済的に追い込むことが必要!! | ホーム | 活動報告 4月22日維新政党・新風主催新橋駅SL広場前街宣参加>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ccp58800.blog25.fc2.com/tb.php/1543-4a3d6829
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)