金子吉晴(維新政党新風)    行動保守の選挙担当として維新政党・新風に籍を置き真の戦後レジームからの脱却に邁進しています。

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"GHQ占領下の日本 進駐軍による強姦事件が多数発生の記録も" 意外に少ないがほとんど泣き寝入りか?

 平成25年9月3日のNEWSポストセブンは,”GHQ占領下の日本 進駐軍による強姦事件が多数発生の記録も
【特高警察の記録「進駐軍ノ不法行為」】
 「慰安婦問題」でアメリカ政府は韓国・中国に歩調を合わせて「性奴隷」だったと日本を批判する。その一方で、GHQ占領下での日本人女性に対する米兵の「強姦事件」は日本人にあまり知られていない。近現代史家・ジャーナリストの水間政憲氏は新刊『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』(小学館)の中で、以下のように解説している。
 * * *
 GHQ外交局長W・J・シーボルドは「(米軍)戦闘部隊兵士の行動は、特に感銘すべきものであった」、「米兵たちはジャップの女なんかには、手を出す気もしない」と記している(『マッカーサーの日本』1970年刊、新潮社より)。
 この米軍の「嘘」を暴く鍵は、占領下の1945年10月4日に解散させられた「特高(特別高等)警察」(約6000人)の記録の中にある。国立公文書館に所蔵されていたこの手書きの原本を白日の下に晒したい。
 そのファイルが377ページに及ぶ「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)である。マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日の特高解散命令までの米軍の不法行為を特高警察が取り調べ、内務省警保局がまとめたものだ。
 ファイルによれば1945年8月30日~9月10日の12日間分だけでも強姦事件9、ワイセツ事件6、警官にたいする事件77、一般人に対する強盗・略奪など424件。
 掠れたページもあり、正確な数字ではないが、全ファイル約1か月間で少なくとも強姦37件(未遂を含む)、その他の不法行為945件を数える。
 米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく占領下の米軍(進駐軍)のためにだった。
 1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。GHQは、1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。
 しかしこれでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。実際は主権回復後まで膨大な数の女性が「強姦」されていた。ファイルを見ていこう(公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す)。

〈強姦事件
(一)八月三十日午後六時頃
 横須賀市○○方女中、34 右一人ニテ留守居中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手口ハ予メ検索ト称シ、家内ニ侵入シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ
(二)八月三十日午後一時三十分頃 横須賀市○○方。米兵二名裏口ヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年、長女○○当十七年ニ対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)〉

 同9月1日、房総半島に米軍上陸。ここでも事件発生。
〈○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(二八)(中略)奥座敷ニ連行、脅迫ノ上、三人ニテ輪姦セリ〉
〈九月一日午後六時頃 トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来リ女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内ニ於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ假死状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送リ届ケラレタリ〉

 このような記載が「特高」解散の10月4日まで続く。
※『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』(小学館)より
”と報道した(リンクはこちら)。

 この「進駐軍ノ不法行為」の現物は「国立公文書館」のサイトで見ることができる(リンクはこちら)。
 ただこの資料は「マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日の特高解散命令まで」の数字に過ぎないから、「進駐軍ノ不法行為」の全体像を探るには物足りない。
 他には「黒い春 : 米軍・パンパン・女たちの戦後」という書籍には次のような記述もある(リンクはこちら)。

『黒い春』に記録されたおぞましい事件
 また、五島勉『黒い春:米軍・パンパン・女たちの戦後』倒語社、1985年(『日本の貞操 続編』の復刻)には、次のような米兵によるおぞましい事件が記録されている。
 「N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は3台のトラックに分乗した米兵によって、およそ1時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は200人とか300人とかいう説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく40数人と看護婦17人、ほかに15ないし20人の付添婦・雑役婦などが凌辱された」、
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」、
「2日前に生まれたぎかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、1人の兵隊に床に蹴落とされて死んだ」、
「M子などは続けざまに7人の兵隊に犯され、気絶した」。


 これも特定の事件としては十分に主張するに値するが、残念ながら全体像ではない。
 その点では占領中のものについては見つからないが、独立後についてはその一端が窺えるのが次の国会審議の様子である。
 昭和28年2月21日の衆議院本会議の議事録には次のとおりある(リンクはこちら)。

○長谷川保君 独立後の昭和二十七年五月から十二月までの入箇月間における外国軍隊要員の刑法犯罪の発生事件数は合計千八百七十八件、このうち、アメリカ合衆国軍人関係千六百十二件、英連邦軍人関係二百四十六件、その他二十件となつております。その内訳を調べてみますと、アメリカ軍人関係、殺人六、強盗百二十九、強姦二十二、暴行二百五十五、傷害二百入、窃盗二百三十七、その他となつております。英連邦軍人関係は、強盗十五、強姦九、窃盗五十九、暴行五十二、傷害三十二、その他となつております。かようなわけで、これを月平均にいたしますと二百三十五件、一日平均人件、こういうような実に凶悪な犯罪がなされておる。

 これによれば、最初の記事における「強盗・略奪」や後の議事録における「強盗」や「窃盗」に比べて、意外に両方とも「強姦」の件数は少ないという感じがする。
 おそらく「強姦」についてはほとんど泣き寝入りが多かった結果だろうと思う。

 ネットの中には様々な記述があるが、以上の3件以外には信頼できる根拠のものは見つからない。おそらく探せばまだあると思うので、見つかればまた紹介したい。
  1. 2014/04/20(日) 08:13:41|
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