金子吉晴(維新政党新風)    行動保守の選挙担当として維新政党・新風に籍を置き真の戦後レジームからの脱却に邁進しています。

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"「アイヌ民族に配慮欠く」 日本ハム球団、広告撤去へ" 撤去はやむを得ないが、先住民族とあるのもまた間違い!!

 11月9日の産経新聞は,”「アイヌ民族に配慮欠く」 日本ハム球団、広告撤去へ
 プロ野球北海道日本ハムファイターズは9日、新千歳空港(北海道千歳市)に掲げられている「北海道は、開拓者の大地だ」と書かれた巨大バナー広告を同日中に撤去すると発表した。球団は撤去の理由を「アイヌ民族の皆さまに対して配慮に欠けたことはおわびすべきとの理由で速やかに取り下げる判断に至った」と説明した。
 アイヌ民族にとっては、江戸時代以降に本格化した和人の開拓は「先住の土地から追われた負の歴史」との解釈が一般的で、北海道アイヌ協会が、広告の表現は「先住民族の権利を害しており不適切」として、球団に配慮を求めていた。
 広告は6月から来年1月まで空港の出発ロビーに掲げられる予定だった縦5・5メートル、横2メートルの4種類のうち1種類。栗山英樹監督の写真とともに「北海道は、開拓者の大地だ」との大文字が表記されている。
”と報道した(リンクはこちら)。

 まず「アイヌ民族の皆さまに対して配慮に欠けたことはおわびすべきとの理由で速やかに取り下げる判断に至った」とあるのは、「開拓者の大地」という所有権を示す表現がまずいので、「撤去」はやむを得ないだろう。

 しかし他方で当方は、「先住民族の権利を害しており不適切」とあるのもまた間違いだと考える。
 というのは先般、次のような報道があったからである。

 平成26年11月11日の琉球新報は,”アイヌは先住民族か疑念と道議 議会で発言、関連団体が批判
 北海道議会の自民党・道民会議に所属する小野寺秀議員(51)が11日の道議会で「アイヌ民族が先住民族かどうかには疑念がある」と発言し、道が現状のままアイヌ政策を進めることを問題視しているとの見解を示した。
 衆参両院は2008年6月、アイヌを先住民族と認める決議を全会一致で採択している。北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長は「9月には国連本部で開かれた『先住民族世界会議』に日本政府代表団の一員として参加したばかりで、非常に残念だ。経緯をきちんと勉強してもらいたい」と発言を批判した。(共同通信)
”と報道した(リンクはこちら)。

 この「11日の道議会」の具体的な内容は次のとおりである(リンクはこちら)。

◆(小野寺秀委員) それでは、通告に従いまして、順次、アイヌ政策について質問をしてまいります。
 私は、今まで、アイヌ政策について、いろいろ問題点を議会で指摘してきましたが、ここで一回リセットして、本当のアイヌの歴史はどうなのかということを若干質問したいと思っております。
 まず、アイヌ民族の先住性についてお伺いをしますが、アイヌ民族と縄文人、蝦夷(えみし)との関係について、道はどのように考えているのか、お教えください。

○(花崎勝委員長) アイヌ政策推進室参事井之口淳治君。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) アイヌの人たちと縄文人等との関係についてでありますが、国の有識者懇談会の報告書によりますと、北海道に人類が住み始めたのは、今から2万数千年前と言われておりますが、どのような特徴を持った人々が住んでいたのかは明らかになっていないところです。
 縄文文化は、一般的には、1万5000年前から3000年前に日本列島に展開したとされており、一方、アイヌ文化は、13世紀から14世紀ごろに、日本列島北部周辺、とりわけ北海道を中心に成立した文化と言われ、当時の人は、本州と北海道の間を交易のために盛んに往来していたと言われています。
 また、蝦夷(えみし)については、古くは、アイヌの人たちを指すと考えられていたこともありましたが、現代の歴史学では、特定の民族を指す言葉ではなく、中央政府に敵対、反抗する者の意味で用いられたとするのが一般的であり、この中にアイヌの人たちが含まれていたかどうかは議論のあるところです。
 なお、人類学的な研究によって、アイヌの持つ形質や遺伝的な特徴の中には、縄文時代までさかのぼるものがあることが明らかにされているところではありますが、最近の科学的知見によりますと、アイヌの人たちは、縄文の人たちの単純な子孫ではないとする学説が有力であり、大陸から北海道に移住してきた北方民族に特徴的な遺伝子なども多く受け継いでいることが判明しているところでございます。
 以上です。

◆(小野寺秀委員) まず、その答弁によると、アイヌの祖先は縄文人ではないというのが一般的な最近の学説だと押さえておきますし、蝦夷(えみし)についても、かなり漠然とした概念だというお答えをいただきましたが、その中で、アイヌ民族の先住性についてお答えがいただけなかったので、もう一度お伺いします。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) アイヌ民族の先住性についてでありますが、アイヌの人たちの祖先がいつごろから北海道に住むようになったかは、いまだ断定されていないと認識しておりますが、後のアイヌ文化の原型が形成されたのは、鎌倉・室町時代の13世紀から14世紀ころと考えられているところです。
 一方、この時期は、北海道の南部に本州から進出した、いわゆる和人の社会が形成された時期でもあったところです。
 しかしながら、和人側から見てみると、7世紀ごろから、北海道に居住する人たちとの間に接触、交流があったことがうかがわれるものの、文献資料が限られていることもありまして、アイヌ文化の形成期における人々の様子は明らかになっていないことが多いところでありますが、アイヌの人々は、当時の和人との関係において、日本列島北部周辺、とりわけ、我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できないとされているところです。
 なお、アイヌ民族の歴史については、いまだ不明な部分もあることから、道としては、来年の春、新たに開設する北海道博物館や他の研究機関との連携により、その解明に努めていく考えです。

◆(小野寺秀委員) その答弁では、14世紀ころにアイヌ文化が形成された、そのころに和人も北海道に進出をしたかのような答弁ですけれども、1万年以上前から、和人と言われる、アイヌじゃない方たちが北海道と本州を行き来していたというのは事実であると思いますが、なぜ、そのような答弁になったのか、私は理解をしかねております。


 この中で、「しかしながら、和人側から見てみると、7世紀ごろから、北海道に居住する人たちとの間に接触、交流があったことがうかがわれる」とまさに「先住性」を否定する答弁があるが、具体的に内容は触れられていない。
 おそらくこれは次の内容を指しているのだろう(リンクはこちら)。

カンカン2遺跡
 カンカン2遺跡(かんかんにいせき)は、北海道沙流郡平取町二風谷231辺りに所在している縄文時代から擦文時代にかけての遺跡。
 縄文式土器から、鉄器や青銅器まで出土している。
 鉄器に関しては、奈良時代に作られたと見られる刀が出土している。青銅製のお椀も出土している。


 「奈良時代」は710年~794年だから、正確に言えば「7世紀」ではなく「8世紀」であるが、これはおそらく細かい物で、「7世紀」の物も出土しているからだろう。
  1. 2015/11/09(月) 20:35:03|
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