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"南あわじ入田稲荷前遺跡で弥生時代の渡来銭3枚出土" 日本書紀の記述では第12代景行天皇(在位71~130)の治世辺りであるが、実際はまだ統一王朝がなく小国に分裂か!!

 5月19日の産経新聞は,”南あわじ入田稲荷前遺跡で弥生時代の渡来銭3枚出土 「海上交易示す重要史料」 兵庫
 南あわじ市八木入田の入田稲荷前(いりたいなりまえ)遺跡で、弥生時代に中国からもたらされたとみられる青銅製の渡来銭「貨泉」3枚が重なった状態で出土し、同市教委が18日、発表した。貨泉は全国各地で見つかっているが、3枚同時に発掘されるのは珍しく、市教委は「渡来人との交易もうかがわせ、弥生時代の流通を考えるうえで畿内への玄関口となる淡路島が海上交易の要所だったことを後押しする重要な史料」とした。
 貨泉は中国の新(紀元8~23年)の時代に誕生した貨幣で、鋳造年代が短期間であることから年代特定の重要な指標とされる。多くは新以後の後漢時代に民間で鋳造されたため、国内では弥生時代後期後半~古墳時代初頭の遺跡から多く出土している。
 市教委によると、国内では北海道から沖縄県まで全国で約180点が確認され、県内でも7遺跡で10点が発見されている。一度に複数枚出土したのは高塚遺跡(岡山市)の25点、元岡・桑原遺跡群(福岡市)の8点に次いで全国で3番目で、県内では最多という。
”と報道した(リンクはこちら)。


 「貨泉は全国各地で見つかっている」とあるから、それほど大層な発見ではないのかもしれないが、それにしても「弥生時代」から「中国の新(紀元8~23年)の時代に誕生した貨幣」が流通していたとは古代史へのロマンをかき立ててくれる話題である。

 「多くは新以後の後漢時代に民間で鋳造された」とある「後漢」は「25年 - 220年」である(リンクはこちら)。
 したがって「直径2・27~2・32センチ、重量1・45~2・53グラムで大きさや重さから後漢初頭に鋳造されたものとみられる。」とあるのは具体的には紀元後1世紀の後半位か。

 我が国はどういう時代かというと、日本書紀の記述に従えば、第12代景行天皇(在位71~130)の治世辺りである(リンクはこちら)。
 景行天皇はご本人よりも日本武尊(やまとたけるのみこと)の父親として有名である。

 ただ日本書紀の年代記載は少し時代を遡っていると言われるので、実際はその頃、我が国の統治機構がどうなっていたのかははっきりしない。

 中国の文献では、
建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う
という例の漢委奴国王印(57年)の時代の少し後、位である(リンクはこちら)。

 おそらく実際はまだ統一王朝がなく、小国に分裂していたのではないか。
  1. 2017/05/20(土) 03:03:47|
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