金子吉晴(日本の自存自衛を取り戻す会)    行動保守運動の一員として真に戦後レジームからの脱却を追求しています。

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"智弁和歌山校など3校 修学旅行で韓国・慶州に" 新羅と百済は古代日本の属国であったのだから、「日本文化の源流が新羅と百済にある」は逆はあってもそれはあり得ない!!

 7月9日の聯合ニュースは,”智弁和歌山校など3校 修学旅行で韓国・慶州に=今年で44年目
 学校法人「智弁学園」が運営する智弁学園和歌山高、智弁学園高、智弁学園奈良カレッジ高等部の3校の生徒43人が8日から5日間の日程で慶州、大田、ソウルなどを訪問している。慶州市が9日、伝えた。
 智弁学園は日本による韓国の植民支配を謝罪し、日本文化の源流が新羅と百済にあることを生徒に教えたいとする前理事長の故藤田照清氏の意思により、1975年から系列校の生徒を韓国に送っており、現在も現理事長の藤田清司氏がその意思を受け継いでいる。これまで修学旅行で慶州を訪れた同学園系列校の生徒は延べ約2万1000人。
”と報道した(リンクはこちら)。


 「日本文化の源流が新羅と百済にあることを生徒に教えたいとする前理事長の故藤田照清氏の意思」とあるが、「新羅と百済」は古代日本の属国であったのだから、「日本文化の源流が新羅と百済にある」は逆はあってもそれはあり得ない。
 仮にも教育者である「学校法人「智弁学園」」の関係者がなぜこのような嘘捏造を教えるのかさっぱり理解できない。

 「新羅と百済」が古代日本の属国であったことは、何も「日本書紀」のような我が国の文献を引用せずとも、「好太王碑」には次のとおりある(リンクはこちら)。

399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平譲に出向いた。ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。

 「和通」というのは要するに「降伏」ということである。
 また同じく半島の文献である「三国史記」には次のとおりある(上記Wikiより)。

また、『三国史記』の新羅紀では、「実聖王元年(402年)に倭国と通好す。奈勿王子未斯欣を質となす」と新羅が倭へ人質を送っていた記録等があり、他の史料と碑文の内容がほぼ一致しているところが見られる。

 「人質」ほど明確な属国関係の証拠はないだろう。

 そしてこのような関係は660年の百済滅亡及び663年の白村江の戦いまではもちろん、その後についても次のとおりである(リンクはこちら)。

672年の壬申の乱で勝利した大海人皇子(後の天武天皇。在位は673年?686年)は、親新羅政策をとった。また、次代の持統天皇(在位690年?697年)も亡夫の天武天皇の外交方針を後継し、同様に親新羅政策をとったが、新羅に対しては対等の関係を認めず、新羅が日本へ朝貢するという関係を強いたが、新羅は唐との対抗関係からその条件をのんで日本への朝貢関係をとった[40]。

 半島の文献自体に「新羅と百済」が古代日本の属国であったことが書かれているのに、なぜ戦後の日本で「日本文化の源流が新羅と百済にある」のような嘘捏造がまかり通っているのか全く理解できないことである。
  1. 2018/07/11(水) 09:23:31|
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