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金子吉晴(日本の自存自衛を取り戻す会)    行動保守運動の一員として真に戦後レジームからの脱却を追求しています。

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"「日本の竹島領有権主張を裏付ける文献は1つもない」=国際フォーラムで韓国教授が主張" 韓国側の資料は存在しないから言及さえできないのだろう。日韓の領有に関する最初の同時代的資料は「竹島一件」!!

 12月13日のRecord Chinaは,”「日本の竹島領有権主張を裏付ける文献は1つもない」=国際フォーラムで韓国教授が主張
 2018年12月12日、韓国・世界日報によると、ソウルで11日に開催された「2018独島国際フォーラム」で、ソウル大学のシン・ヨンハ名誉教授が基調演説の中で「独島(日本名:竹島)が日本固有の領土だという日本の主張を裏付ける古文献は現在までに1つも見つかっていない。日本が広報しているものは全てうそで、むしろ韓国の領土であることを証明する資料だった」と主張した。
”と報道した(リンクはこちら)。


 「独島(日本名:竹島)が日本固有の領土だという日本の主張を裏付ける古文献は現在までに1つも見つかっていない。日本が広報しているものは全てうそで、むしろ韓国の領土であることを証明する資料だった」とあるが、この記事には韓国側の「韓国の領土であることを証明する資料」には一切言及していない。
 そんなものは存在しないから、言及さえできないのだろう。

 当方が知る限り、日韓において竹島領有に関する有史以来、最初の同時代的資料は「竹島一件」だろう。
 これについては内閣府のHPには次のとおりある(リンクはこちら)。

いわゆる「竹島一件」

1.幕府から鬱陵島への渡海を認められた米子の大谷・村川両家は,約70年にわたり,他から妨げられることなく独占的に事業を行っていました。

2.1692年,村川家が鬱陵島におもむくと,多数の朝鮮人が鬱陵島において漁採に従事しているのに遭遇しました。また,翌年には,今度は大谷家が同じく多数の朝鮮人と遭遇したことから,安龍福(アン・ヨンボク),朴於屯(パク・オドゥン)の2名を日本に連れ帰ることとしました。なお,この頃の朝鮮王朝は,同国民の鬱陵島への渡海を禁じていました。

3.状況を承知した幕府の命を受け,対馬藩(江戸時代,対朝鮮外交・貿易の窓口であった。)は,安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに,朝鮮に対し,同国漁民の鬱陵島への渡海禁制を要求する交渉を開始しました。しかし,この交渉は,鬱陵島の帰属をめぐって意見が対立し合意を得るにいたりませんでした。

4.対馬藩から交渉決裂の報告を受けた幕府は,1696年1月,「鬱陵島には我が国の人間が定住しているわけでもなく,同島までの距離は朝鮮から近く伯耆からは遠い。無用の小島をめぐって隣国との好を失うのは得策ではない。鬱陵島を日本領にしたわけではないので,ただ渡海を禁じればよい」と朝鮮との友好関係を尊重して,日本人の鬱陵島への渡海を禁止することを決定し鳥取藩に指示するとともに,朝鮮側に伝えるよう対馬藩に命じました。
この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は,一般に「竹島一件」と称されています。

5.その一方で,竹島への渡海は禁止されませんでした。このことからも,当時から,我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。



 「鬱陵島」の領有権を日韓で争っているのだから、その前提にあるのはそれよりも日本に近い「竹島」は当然のことながら日本領土と考えていたということである。
  1. 2018/12/14(金) 08:18:57|
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